昨今、物事をより合理的に、ではないが、何につけ意味を求める節が強くなってきた。
これまでだと、不思議に思うとも思わずとも、慣例にならって、素直にその通りにする、というのが大方のやり方だったかもしれない。
それが、特に若い世代で・・ということもないんだろうが、とかく、
これやって意味あるんすか?
どうしてこれやるんですか?
何かメリットあるんすか?
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その最たるものが、
「協会に入って、何の意味あるんですか?」「認定資格とか、意味なくね?」
のような質問だ。
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実は筆者は、コーチングを体得してから、そのような発想が全く無くなった。
つまり、コーチング的解釈でいうと、目の前の事実に対して、意味をいかようにでも変えることができるからだ。まさにそのようなプロセスの連続。
相手をコーチしていく中でも、意味づけをガラッと変えてフィードバックしていく。
この「意味のある無し」「メリットのある無し」を言い出したら、それこそキリが無くなる訳で。
大学院に行ったり、新たな資格を取ることは?
異性とお付き合いするのに意味あるんすか? 結婚のメリットって? 子供を作ったりするのは・・・?
極論したら、行き着く先、この世に生きてることの意味って???ともなりかねない。
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仮に、このような人に、「いやね、こんなメリットだって、こんな意味だってあるんだよ?」と説明したところで、きっと「そうなんですね!」と納得することなどないだろう汗
例えば、(多くの人が避けがちであろう、)私は娘が通う中学校のPTA副会長までやり、割と奉仕活動など率先して参加していた。これに意味やメリットはある・・? 私には大いにあった。
あと最近も、ある資格にトライ中なのだが、これがあったから、仕事が出来るかどうか、って全く別物。一見、意味ないっちゃ、意味ない。でも、自分の中には、きっちり意味もメリットもあるのだ。
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人生って、綺麗にはなかなかいかない。
変な話、前述した、異性とのお付き合いや結婚や子供、挙げようと思えば、デメリットなんて、いくらでも挙がるよ? でもそれを避けたいのであれば、天涯孤独でいるしかない。でもそれって、メリットだろうか??
実はこういう苦労・面倒・失敗・脇道、、と一見感じるようなところが、実は人生や仕事の醍醐味なのかも。
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意味があると思えば、ある。意味がないと思えば、それまで。
それもこれも、目の前の出来事にいかに意味づけをしていくか。そして、それはあくまで「自分にとって」どのような意味があるか、が大事。
そうやって、どんな経験も、自分にとって価値あるものにしていく。
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くれぐれも、あまりに(表層上の)「意味」や「メリット」を求めすぎて、人生や仕事やプライベートを無味乾燥で、つまらないものにしてしまうのは、勿体ないかもしれませんよ。。